今に息づく伝統
職人達の行き交う町「三木」

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モノづくりの町「播州播磨」

「モノづくりの町」として古くから有名な三木市は、現在も三木金物という全国レベルで有名なブランドを産出している街です。 町の旧街道筋では築150年日本家屋を改装したカフェや、古い町家など三木の歴史を感じられる古い町並みが残り、兵庫県の中でも人気の観光スポットで知られています。 また古くから、三木は交通のうえでの重要な拠点となっており、徳川時代に参勤交代や西国からの湯冶客が往来した街道湯は今では山街道と呼ばれています。 この京阪神方面と中国、四国、日本海方面を結ぶ高速道路網により、大阪と神戸のどちらから三木へ向かっても、車で1時間以内にアクセスする事ができます。

三木市「土地の歴史」

室町時代に別所則治によって築城された三木城。上の丸公園にある「今はただうらみもあらじ諸人のいのちにかはる我身とおもへば」と記された辞世の句の歌碑からは、5代城主長治の生き様を垣間見る事が出来ます。

別所長治の辞世の句

三木城の始まり

三木城は、織田方の羽柴秀吉と別所長治との間に起きた兵糧攻めや、三木合戦(三木の干殺し)など、激しい篭城戦が繰り広げられたことでも知られています。
城跡は明石から北に約19km、姫路から東に約31kmの地にあます。古くから整備された交通の要所(湯山街道)として築城されました。
また、本丸周辺は現在もなお上の丸公園として残されており、公園内には長治の辞世「今はただうらみもあらじ諸人のいのちにかはる我身とおもへば」の歌碑や、城外への抜け穴があったと伝えられる「かんかん井戸」、そして近年立てられた長治の像を見ることができます。
さらに、公園に隣接している三木歴史資料館(旧三木市立図書館)や城郭跡の下には滑原(なめら)商店街では、毎年5月5日には長冶を偲び、「別所公春まつり」が開催されています。

戦国武将の別所長治

戦国武将 別所長治(1558~1580)

別所長治は、播磨の国(現在の兵庫県)にある三木城の城主だった人です。
長治は、父である長勝の死により、わずか13歳で家督を継ぎ、その時の天下人有力候補であった織田信長に反旗を挙げた事で有名です。
織田方の羽柴秀吉による兵糧攻めで落城しますが、別所一族の自害により、城兵8000人全員の命は助けられました。

伝統の息づく町「三木」

古くから「金物の町」として職人たちのモノづくりの伝統技術が息づく三木の町には、現在も歴史情緒溢れる建物が数多く残っています。

三寿ゞ刃物

三寿ゞ刃物
登録文化財

三木の町で400年培われた伝統的な製法を受け継ぐ庖丁メーカーの三寿ゞ刃物。
三寿ゞ刃物は、よく切れて錆びないステンレス庖丁を日本で初めて製造した事で有名です。
建物には130年ほどの歴史があり、国から有形文化財に登録されています。
また、併設されている「ここいら」では、さまざまな三木金物製品の展示を見る事が出来ます。

伽耶院

伽耶院
県指定重要文化財

孝徳天皇の勅願寺として、法道仙人により開基された伽耶院。
古くは大谿寺(だいけいじ)や東一坊(といちぼう)と称していましたが、1681年に後西上皇の勅によりインドの仏陀伽耶に因む寺号、伽耶院(がやいん)と改められました。
現在、10月の体育の日には、近畿地方で最大の規模を誇る採燈大護摩(さいとうだいごま)が行われています。

三木城

三木城
国指定重要文化財

三木城は、小寺氏の御着城や三木氏の英賀城と並び播磨三大城と称されたほどの堅城で、羽柴秀吉による兵糧攻め「三木合戦(三木の干殺し)」の舞台となった事でも有名な城です。
また、本丸周辺である上の丸公園内には長治の騎馬像や辞世の歌碑、城外への抜け穴「かんかん井戸」があります。
現在も毎年5月5日には長冶を偲び、「別所公春まつり」が開催されています。

旧玉置家

旧玉置家住宅
登録文化財

旧玉置家住宅は、文政9年(1826年)に上州館林藩の財政建て直し策を図るため、切手会所(今の銀行)として建てられました。
建物は江戸時代に建てられた第一期の建物と明治以降に増築された第二期の建物に分かれています。
初代大器氏と三代目福蔵氏により増築された、離れ座敷と渡り廊下には、当時の匠技が施されています。

稲荷神社

稲荷神社本殿
国指定重要文化財

稲荷神社は、南都東大寺の大工によって建てられました。
一間社隅木入春日造板葺付である所や、屋根の堅板葺や欄間と蟇股が絵画である所など、室町時代末期の地方的特色がよく表われているところが特徴です。
現在、本殿はより良い状態で保存していく為に、雨風を避けられる覆屋の中で鎮座しています。

鬼踊り

蓮花寺鬼踊り
市指定重要文化財

蓮花寺鬼踊りは、古式の所作法が継承された伝統ある民俗文化財である事から保存会が組織されています。
この行事は追儺式とも呼ばれ、約800年前から始まったと伝えられています。
今に至るまでの間、中断・復活を経た時期もありますが現在は保存会により、毎年2月の第1日曜日開催されています。

三木金物

三木金物製品
登録文化財

三木市が、全国屈指の金物の町として栄えるきっかけとなったのは、天正六年(1578年)の羽柴秀吉による三木城の兵糧攻めと言われています。
秀吉は焼け野原となった三木の町の復興を考え、四方に散らばった人々の呼び戻しを図りました。
復興のために大工職人やその道具を作る鍛冶職人が集まり、三木の町は活気づいて行きますが、復興が一段落すると大工職人の仕事がなくなり、大工職人達はやむなく京都や大阪などへ出稼ぎに行くようになりました。
その際、大工職人達が持参した道具の素晴らしさが評判になり、「鍛冶の里」三木としての地盤を固めて行きました。
そして現在に至るまで、伝統の技を基礎として多くの優れた金物が開発・生産され続けています。
その三木金物製品の内、鋸(のこぎり)、鑿(のみ)、鉋(かんな)、鏝(こて)、小刀(こがたな)の5品目が国の伝統的工芸品に指定されています。